佐井 惠子

この仕事が好き
大阪の女性司法書士

代表司法書士

佐井 惠子

メッセージ

こんにちは、司法書士佐井惠子です。
良い仕事をして、ご依頼者に満足いただき、それから何年たったとしても、困った時の相談先として思い浮かべていただけるよう、スタッフひとりひとりの力を活かし、チームワークを大切にして仕事に取り組みます。

私たちは、ご相談者の「かかりつけ医」ならぬ「ホームロイヤー」という存在となることを目指し、日々精進します。どうぞ、頼りにしてください。

略歴

1979年 3月関西大学法学部卒業
1980年 10月司法書士試験合格
1981年 1月同 登録
2000年 3月家庭裁判所後見人等候補者名簿登載
2003年 5月大阪司法書士会会長表彰
2003年 7月簡易訴訟代理権取得
2007年 1月家庭裁判所参与員
2007年 5月近畿司法書士会連合会理事長表彰
2009年 5月大阪法務局長表彰
現在大阪司法書士会所属
公益社団法人成年後見センター・リーガルサポート大阪支部会員
商業登記倶楽部会員
公益活動として司法書士総合相談センター相談員
公益社団法人成年後見センター・リーガルサポート大阪支部相談員
大阪府中小企業家同友会会員
大阪商工会議所会員

趣味

  • 阪神タイガースの観戦
  • チェロの演奏
  • 読書
  • 映画鑑賞

講師歴

  • 公益財団法人リーガル・サポート大阪(司法書士向け)研修講師
  • 大阪市立男女共同参画センター南部館 クレオ大阪南 セミナー講師
  • 兵庫県阪神シニアカレッジ 講師
  • 淀川区高齢者の生きがいと健康作り推進事業 研修会講師
  • 一般社団法人コスモス成年後見サポートセンター大阪(行政書士向け) 研修講師
  • その他 任意団体セミナー講師

インタビュー

司法書士になるきっかけは何でしたか?

父の後押しが大きかったです。「自立するために職を持て」と言われて育ちました。仕事に就きやすいと考えて、法学部を選びましたが、女子学生は1割程度で、結婚のタイミングで退社する「寿退社」という言葉がある社会で、4年制大卒女子の就職はとても難しい時代でした。

そこで、一生続けられる仕事をしようと思い、法律の勉強を活かして司法書士試験に挑戦しました。大学卒業の翌年に合格し、初めて実務に就きました。

司法書士という仕事を選んだのは、正義感は強いけれど、平和主義で争いごとは好まないという私の性格からでしょう。至って穏やかな人間です。今考えると、私のこの選択に間違いはありませんでした。もっとも、自分のことはともかく、ご依頼者が理不尽な目にあっていると、がぜん力が湧いてきて頑張れることは、自分自身の再発見となりました。

印象に残っている仕事は?

若い頃の職業経験から、夫の遺産を、恵まれない子供たちの支援のために寄付したいという老婦人の「想いを形にする仕事」は、各専門家とのチームで取り組んだ印象深い仕事になりました。

当時、法律ができたばかりの一般社団法人を設立し、それに資産を移して運用することになりました。ご依頼者自身が代表に就きましたが、何分高齢です。代表の健康状態にかかわらず、業務を継続できるよう、私と任意後見契約を結び、リスクを回避する一方で、法人の運営が円滑に行われるよう、契約内容にも配慮しました。

ご依頼者とは、毎月面談をしては四方山話を交え、年に一度の法人の総会を開催するサポートをして、8年間のお付き合いの後、代表は後継者に交代し、今も順調に寄付による支援を継続できています。

「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」という後藤新平の言葉がありますが、人を育て残すための仕組み作りや運営に携わらせていただき、大変感謝しています。

普段のお仕事について

お客様に対して意識的に行っていることはどのようなことですか?

専門職でなければ分からないリスクなど、ご依頼内容を超えるところまで注意をして、それを当たり前のように続けることを心がけています。それが、トラブルの予防になり、ご依頼いただいた方に対する一番のサービスであると考えるからです。

ご相談にあたっては、ご相談者の声なき声、本当の困りごとを聞き取ることを大切に、今までの経験や生活歴を総動員して傾聴します。これは、簡単そうで大変難しいことですが、それができて初めて、解決のための選択肢を提案することができると考えます。

この仕事をしていて良かったなと思うのはどのようなときですか?

何十年ぶりといったご依頼者や、そのご家族から、「その節は、お世話になりました。」などと仰っていただき、折々の相談事をいただくことは、本当にうれしいことです。

お客様に対して大切にしていることは何でしょうか

それは、笑顔です。自分の体調や気分を良好に保てば、笑顔の準備完了です。